<千鳥屋の歴史>
天文十二年(1543)
天正十八年(1590)
天正年間頃(1573〜)
慶長八年(1603)
寛永七年(1630)
慶応三年(1867)
昭和二年(1927)
昭和十六年(1941)
昭和二十年(1945)
昭和二十一年(1946)
昭和二十四年(1949)
昭和二十五年(1950)
昭和二十七年(1952)
昭和二十九年(1954)
昭和三十七年(1962)
昭和三十八年(1963)
昭和三十九年(1964)
昭和四十八年(1973)
昭和四十三年(1968)
平成三年(1990)〜
平成十七年(2005)
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ポルトガル人、種子島で鉄砲を伝える
九州北部を支配していた龍造寺隆信の子・政家が病弱のため、家臣の鍋島直茂(鍋島藩祖)に領地を譲り、太俣郷(現・佐賀県佐賀郡久保田町)に隠居。家臣の原田家も政家にしたがって移住。やがて武家の内職として酒饅頭などの菓子を作り、生計を立てる。
南蛮菓子のカステラが、ポルトガルの南蛮船より長崎に伝えられる。
徳川家康、江戸幕府を開く。
原田家が佐賀県佐賀郡久保田町に「松月堂」の屋号で本格的に丸ボーロ、カステラを中心としたお菓子屋を始める。
徳川慶喜、大政奉還。 王政復古の大号令(明治維新)。
福岡県嘉穂郡飯塚町住吉の中央市場(現・飯塚市本町の永楽通商店街)入り口に松月堂の飯塚支店として「千鳥屋」を開店。千鳥饅頭、丸ボーロ、カステラの三品を専門に製造販売。
太平洋戦争勃発。
六月 飯塚本店が強制疎開で壊され、飯塚川の対岸にある木造二階建てに転居。
八月十五日 終戦。
政府の統制により良い原料が入手困難なため、ヤミで原料を手に入れ、質の落ちない千鳥饅頭、丸ボーロ、カステラを何とか作り続ける。
福岡市の新天町商店街に出店。福岡支店として、お菓子を売る。
砂糖やメリケン粉の統制が撤廃され、飯塚本店と福岡で本格的にお菓子の製造販売を再開する。
「千鳥饅頭」が横浜市で開かれた全国菓子大博覧会で名誉大賞牌を受賞。 「銘菓」のお墨付きをいただく。
京都市での全国菓子大博覧会で、「カステラ」が名誉大賞牌を受け、名誉総裁の高松宮殿下に「千鳥饅頭」を献上。
ドイツでの幾年にも及ぶ修行・研究の末、洋風巻きせんべいの「チロリアン」を開発、販売する。
チロリアンのテレビCMを開始。
東京千鳥屋を開店。この秋に東京オリンピックが開催される。
大阪千鳥屋を開店。
チロル高原で、チロリアンの本格的なテレビCMを制作開始。
欧州の食品の国際品評組織「モンドセレクション」の菓子部門で「エアラインチョコレート(現アルペン)」が特別金賞を受賞。
6年連続受賞。
福岡県 飯塚工場直送の千鳥屋全国通販サイト(本サイト)がOPEN。 |